メモリーズ。

あー、どうも皆さんこんばんは。
アジアの人類系統では「モンゴリアン」に分類される新潟支部長のシンジです。



さて、perfume全国興行が興奮と熱狂の内に幕を閉じた訳ですが、恐らく多くのファンの方が気の抜けた様な感覚に包まれている事と思います。なんだか物事が手に付かない、世に言う五月病にも似た感覚。ご多聞にもれず、私もその真っ只中です。ただ少し違うのは、やはり最後の横浜興行を、3人の輝く涙を垣間見る事が出来なかったという諦念から生じる脱力感に苛まれている部分でしょうか。で、外にアルコヲルを飲みにも行かず、こうしてPCのキーをパチパチやってる訳です。
この脱力感の中ふと、自分の音楽遍歴について考えました。
現在テクノDJ1年生、白帯である私ですが、電子音楽に対する目覚めは実は相当早かったです。そう、私がまだ4歳の頃、1980年12月に西城秀樹が『眠れぬ夜』という曲を発表しました。これはオフコースのカバー曲で、当時25万枚以上のヒットとなったそうです。その曲の冒頭にシンセサイザーの音源が使われているのですが、テレビを観ながらその音を子供心に「カッコいいな、この音」と思ったのを今でもハッキリ憶えています。
小学生時代、当時父親が持て余して使わなくなった時計付きラジオ、これを失敬して夜に布団の中で聴いていました。10〜20代の方は存じないでしょうが、四半世紀くらい前にニッポン放送でOAされてた「日立ファンファンTODAY」という番組がありました。その番組はよく洋楽を紹介しており、そこから聴こえてくるのは体感した事の無い音色。「何?何コレ?カッコえええええ」とコーフンしまくり。そう、80'sと呼ばれるムーヴメントの最中でした。a-ha、カルチャークラブ、マイケル・ジャクソン、マドンナ、ヒューマンリーグ、ユーリズミクス、DEVO、などなど嗚呼、名前だけでもクラクラする面子。
当時衝撃を受けた楽曲の中から、まずはスターシップを紹介します。朝の某情報番組のオープニングに使用されていますが、番組の雰囲気にマッチしているとは思えません。何より、これを聴く度にあの司会者の顔(&頭髪)を連想するようになってしまって・・・興醒め。



14歳当時ウチに来ていた家庭教師のお兄さんからFALCOのカセットテープを貰い、毎日聴いてました。周囲にオーストリアのロックグループなど知ってる者は皆無に等しく「どや、ワシはこんなん知っとるんやで」という優越感に浸っていました。中学時代、給食の時間にはその時の流行の音楽が流されていましたが、私は放送委員に頼み込んでFALCOのナンバーをプレイしてもらいました。クラスメイトの、聴いた事も無い音楽を前にして「キョトーン」とした表情を見、さらに優越感。ところがその優越感が限度を超えて肥大してしまい「あたしゃお前らとは違うんだ」というねじ曲がった反骨スピリットばかりがいまだに抜けず、友達の数は驚く程に少ないです。どうしてくれるんだよまったく(←誰に言ってんだ)。
代表曲は「ロックミー・アマデウス」というナンバーなのですが、こちらも好きでしたので紹介します。



当時を語る上でこれは外せません。ケニー・ロギンズの「Danger zone」です。
これは今でもバラエティ番組、とりわけ戦闘機が出てくるシーンなどでの定番になっています。
ちなみにこの曲、航空自衛隊で毎年行われる戦技競技会において、以前にパイロットの搭乗前に基地のスピーカーからガンガン流されていたようです。←51へぇ
11歳の時でしたが、コレ観た時はコーフンしたなぁ(しみじみ)。「乗ってみたい乗り物」というアンケートを小学生男子に対して行ったら不動のベスト3に入る事必至。




こちらは「番外編」。
当時は勿論その意味するところは分からず、ただボンヤリ聴いてただけだったフランキー・ゴーズトゥ・ハリウッド。
代表作「リラックス」は数年前にドリンクのCMに使用されていました。あとココリコの番組でも。
でもこの曲、歌詞が下品。「おい、イキたいんだったらケツの穴の筋肉をリラックスさせろよ。入らねぇじゃねえか」ですって。うわぁ。
83年のナンバーですが、日本ではCMにも使われたこの曲も当時のイギリスでは内容故に曲・ヴィデオクリップ共に放送禁止だったそうです(←でもランキングの首位をキープ)。








次回は高校〜大学時代の音楽変遷史についてです。






追記。
これをパチパチやってる最中に、ページヴューが1万回を突破。
閲覧して下さった皆様に厚く御礼申し上げます。