最後の時がいつか来るならば。

皆さんこんばんは。
魚のホネが歯茎に刺さった、Perfumeを応援する市民の会新潟支部長のシンジです。いでー。


現在TOKYOFM系列にてオンエアされている『School of Lock
http://www.tfm.co.jp/lock/index.html
番組内のワンコーナーとしてOA中の”Perfume Locks” 毎回3人のトークに耳を傾ける今日この頃ですが、先日の放送では大いに笑いました。
コレ↓。

数日こればかり聴いていたのですが、ある日を境に笑えなくなってしまいました。



それは数日前の朝。
朝食の後に掛かってきた電話。内容は「うちのばぁちゃんが亡くなった」というものでした。
私の実家が浄土真宗の寺だという事は皆さん既にご存知でしょう。
通常檀家さんがお亡くなりになられた際、まずご遺体を死亡が確認された場所(大抵は病院など)から家に移し、その遺体を前にお経を唱えます。これを「枕経(まくらぎょう)」と呼びます。そして翌日の夜に通夜、その翌日の日中に葬儀が執り行われるのです。
連絡を受けて私が枕経を行う為に準備をし、迎えに来た遺族の方と共に自宅へ。安置されている遺体の顔にかけられてる白い布を取ると、顔に刻まれた皺、こめかみ周囲のシミに90を越えたお婆さんの人生が垣間見えるようでした。その際にふと頭を過ぎったPerfumeの姿、それがお婆さんの顔に重なった様な感覚にとらわれました。
かつて遠い昔、インドの地でゴーダマ・シッタルダは悟りました。人は歳を取り、老いていく。人はいつか必ず病になる。そして人は必ず死に至ると。誰一人として例外は無い、この世の理。そして自分自身も。少なくとも勤めが勤めなので、葬式の場に行く事、人の遺体に対面する事は他人と比較すれば断然多いので多少なりとも「慣れ」ていた筈なのですが、「いつかPerfumeの3人も・・・」そう思うと急にいたたまれなくなってしまいました。
いち宗教家の端くれとして、皆さんにお願いがあります。
今後家族や親類、その他様々な関係の方の葬儀に参列される機会があるでしょうが、その時によく会場などに備え付けられている「清めの塩」は使わない様にして頂きたいのです。
「死」は遅かれ早かれ必ず一人ひとりに訪れます。死なない人はいません。つまり「死ぬ」ということは敗北でも無く、汚らわしいことでもありません。にも関わらず塩を撒く、身体にふり掛けるのは亡くなった人の立場を貶める行為に他なりません。愛する人、大切な人、かけがえの無い人、そうした人が亡くなった途端に汚らわしいものへと変わる・・・・・こんな悲しく惨めな話があるでしょうか。「お前汚ねぇんだよアッチ行け」と言ってるのと変わりません。




ひとつお話させて頂きました。










追記。
Perfumeの3人が80歳の時、私は95歳(!)。
どんな人生の締め括りを迎えるんでしょうか。





追記その2。
少ししんみりとした雰囲気になったので、シド・ヴィシャスの『My way』をお聴き下さい。