戦争と平和。
第4日目。
リトアニア、カウナスでの2日目。今回の旅、ちょっとしたゴタゴタのとばっちりを受けて、当初の渡航計画から2年が経過してしまった。それ故、今回の旅には並々ならぬ思い入れがあった。
ホテルでの朝、朝食はよくあるビュッフェスタイル。黒パン、スクランブルエッグ、ハム、ソーセージ、そして珍しいものがあった。蕎麦の実を茹でたものだ。意外に欧州、とりわけ東欧諸国では蕎麦は食材としてはかなり一般的である。気候の厳しい、痩せた土地でも育つという特性、加えてハプスブルグ家の支配下にあった頃は、作物に軒並み高い税金が掛けられていたが蕎麦は課税を免れた歴史的経緯もあって、蕎麦がきの様にして食べたり、パンケーキの生地にしたり、ソーセージの肉のつなぎとして入れられたりと様々な食し方がある。
朝食を済ませ、ホテルから歩いてすぐのヴィエニーベス広場にある「ヴィタウタス大公戦争博物館」を目指す。
これが博物館正面。この広場には多くの記念碑がある。その中で向かって左に位置する、リトアニア独立の為に犠牲になった英雄たちの記念碑(Paminsklas Zuvusiemus uz Lietovos Laisve)。
各地の戦闘が行われた場所の石を集めて作られ、無名兵士達の灰が収められている。これは最初の独立時に建てられるもロシアの占領により撤去の憂き目に遭うが、1989年に再建されたという。カウナスでは結婚式を挙げたカップルが、ここへ献花に訪れるのが習慣となっているそうである。
さて、博物館へ入場料6リタスを支払い中へ。
中世から近現代の武器・装備が展示されている。実は内部の撮影は有料で30リタス。受付の無愛想なオバちゃんにお金を払い、カメラのマークがプリントされたIDホルダーを渡される。最初は「何やゼニ取るんかいな」と思い、当初は見るだけで帰ろうとしたが、ひとしきり見て回った後、どうしても記録に残しておきたい展示品があったので支払う事にした。それが以下の写真。
昔の、先込め単発式のライフル。右から2番目の短いタイプは日本の火縄銃(!)
17〜18世紀頃のマスケット式ライフル。「マスケット」とは弾を先から込める銃の事。当然、火縄銃もこの範疇である。
真ん中はベレッタ Modello 1938A。空挺部隊などが使用した。右はロシアを始め共産圏でも広く使用されていたPPSh-41。使い勝手の良さから人気があったという。その形から、ドイツ軍からは「バラライカ」と呼ばれた。
手前はドイツ軍が使用していたMG34。経費削減と生産性向上を目的として造られた改良型MG42があり、両方を平行して終戦まで使用された。その威力と性能、発射音から「ヒトラーの電動ノコギリ」という異名を持っていたそうである。
映画「プライベート・ライアン」の冒頭、オバマビーチへの上陸作戦のシーンにも出てきたが、米兵達がいとも簡単に撃たれていく光景にはゾッとした(余談だが、実際の上陸作戦に参加した経験を持つ元米軍兵士があのシーンを観て「完璧な描写だ」と語ったという)。
このMG34、以降再設計とマイナーチェンジを施されて現在でも「MG3」の認識名称でドイツ・イタリア・デンマーク・ノルウェー・ポーランド・スペイン・ギリシャ等の軍にて使用されている。
こちらは左から順に、日本の30年式小銃、ロシアのモシン・ナガン、イギリスのエンフィールド、ドイツのGeber98。
白眉は30式小銃。旧日本軍の主力だった38式歩兵銃、その前身。第2次大戦前後の頃、各国の小銃の口径はドイツの7.92mmをはじめ、その殆んどが同等、若しくはそれを超える大口径であったのに対し、日本は6.5mmの弾薬を採用した。これは弾薬を選定するにあたり、体格の小さな日本人に反動の強くない使い易い弾薬をという要望、加えて「残酷なる殺生は人道に非ず。敵兵の戦闘能力を奪うに足らしむれば充分」という人道的見地から決定されたものだという。その分落ちた威力は銃身を長くする事で初速を高めて補っている。いわゆる「小口径高速弾」、現在の軍用ライフルに通用する考え方である。
その他、歴史的な銃器が盛り沢山。左からロシアのPPS43、ドイツのMP40シュマイザー、同じくドイツの、アサルトライフルの草分け的存在とも言われるStG44。
左は珍品。メキシコのモンドラゴンM1908(←製造はスイス)。そのとなりはシモノフM1936セミオートライフル、右端はその改良型のトカレフM1940(SVT40)。前作の欠点を改良する目的で製造されたが完全には修正出来ず、加えて弾薬に粗悪品が多かった事や、極寒の環境下でチャンバー内に薬莢が張り付く等のトラブルが多発し、大戦の終結を待たず生産は打ち切られたという。しかし作動方式や設計自体は優れていて、ドイツ軍やフィンランド軍に鹵獲・研究され、それらの国での自動小銃の開発に影響を与えたと言われる。
その後製造されたドイツのワルサーのGew43ライフルの形状からもそれが窺える。
右はロシアのナガン1895。将校の携帯用としてもさる事ながら、寧ろ突撃の命令に怖気づいた兵を撃って「撃たれたくなけりゃ突っ込めー!」と喝を入れる為に使用される事が度々あったそうである。ったくこれだから露助は(以下自粛)。
その他、18世紀頃の武具や装備品、甲冑があった。現代の様な内張りや衝撃吸収の素材など当然ある筈も無く、着用感は酷いものだったろう。斬られるよりマシ、という事か。
このジオラマは秀逸。ただフィギュアを並べてるだけでなく、負傷したり絶命して倒れてる様子の再現が妙にリアル。
こんな感じの騎兵が時速50キロ近くでドドドドドと向かってくるんだから怖い。
M14とAKM。リトアニア軍で採用されてたとは知らなかった。
ロシア製の手榴弾はレバー部分がヤワく出来ているので、B級アクション映画に出てくるヒーローよろしくポケットやベルトなどに引っ掛けるのは絶対に止めましょう。
Red armyが使用していた対戦車砲、と説明文にあった。赤軍とはこの場合ロシアの事を指すようだ.
昔の大砲の砲身。写真だけでは大きさが把握し難いので、自ら横になって比較してみた(当方180cm)。撮影はたまたまそこに居合わせたカナダ人の男性に依頼。
ここは博物館の地下にあった祠、かどうかは分からないが、十字架が祭られていた。恐らくリトアニアの「聖人」を奉る部屋ではないだろうか。色々と調べてみたが、博物館の公式サイトにもこの部屋への言及は無かった。
最後にここを見てから出口に向かおうとすると、入り口横の入場券売り場のオバちゃんがしきりに今上がってきた階段を指差して何事かこちらに訴えかけている。当然リトアニア語なので何を言っているのか理解出来ない。数人オバちゃんが居た中で1人英語を話せる人がおり「『最後に必ず下の部屋を見ていけ』と言ってるよ」との事。「いやもう見たよ」と言うものの、まだ何か口走っている。多分「ニイちゃんしっかり見ていきなはれ」とか言ってるんだろうと勝手に推測。ハイハイ見りゃいいんでしょ。で、再び階段を降りて撮影したのが上のカット。
とはいえ、その厳かな雰囲気に自ずと背筋が伸びる。撮影する時も周囲に誰もおらず、撮影禁止とも書いてなかったが、「すいません、撮らせて頂きます」と言ってからシャッターを押した。
出入り口前に展示してあった自走砲。
そしてこの後、念願だった場所へ向かうのだが、書くと今まで以上に長くなってしまうので続きは次回に。