ひとりでできるもん。

皆さんこんばんは。食事制限の効果が早くも表れてきた、Perfumeを応援する市民の会新潟支部長のシンジです。





3月22日に開催されたPerfume後援会限定興行新潟大会、その翌日新潟市中心部の繁華街「古町」にて、不肖シンジ、数回のゲスト参加での経験をへて、ついに単独DJパーティーを開催する事が出来ました。
2007年の初夏にDJ機器を購入して早2年半、クラブ環境への自由な参入や企画・開催がままならない、何より企画の数自体が都市部とは比べ物にならない程少ない地方ならではの状況に歯痒さや苛立ち以上のものを感じていましたが、懇意にしているダイニングバーの経営者(←女性)に企画を打診したところ快諾してもらい、そこから開催の運びとなったのです。
思えば、Perfumeとの出会いは自らの環境における現状打破、もしくは「失地回復」にも似た意義をもたらしてくれました。かつてフォトグラファーへの夢叶わず、心の底から愛した女性との別離を経験するという、妊婦でも欲しがらない位の辛酸を舐めさせられ、否応無く味わった挫折感、夢が夢と消えた虚無感を、このPerfumeという存在は大いに癒してくれました。
それがもたらした出会い。同じファンとの交流でこのブログを始め、Tシャツを製作し、それらを媒介とした様々な人達との邂逅。そして、中田ヤスタカの紡ぎ出すエレクトロサウンドに触発されてDJ機器を購入。それが始まりでした。
もしも今自分が件の女性と結婚し子供が産まれ、所帯を持っていたとしたらPerfumeという存在をメディアを通じて認識しつつも深く傾倒する事は無かったでしょうし、同時にPerfumeをキッカケとしてもたらされた出会い、そしてそこから生まれる喜びも知らないままであった事は言う間でもありません。そう考えると人生とは何と不思議なのだろうと思わずにはいられません。
元々テクノ系の楽曲には強い興味があり、大学生の時にパイオニアから初のCDターンテーブルCDJ-50」が発売された時には大いに関心を持ったものです。

現在ベスタックスやヌマーク、ジェミナイ、アメリカンオーディオなど各社からCDターンテーブルが発売されていますが、当時こうした機器は他にあまり例が無く、現在では当然の様に搭載されている「ピッチコントローラー」、すなわちテンポを変えても音程が変わらない機能が搭載されたのはこの機種が最初でした。
しかし発売当初は1台10万円という価格で、しかも1台ではなく2台必要であり、加えてミキサーも購入せねばなりません。高額の費用もさることながら、何よりDJのスタイル、クラブの雰囲気など未知のものであったので導入など望むべくもありませんでした。もっともテクノを初めて知った時、ハウスやエレクトロ等のダンス系・フロア系は寧ろ好きでは無く、アンビエント・チルアウト系が好きだった事も理由の一つです。
ちなみにその頃のフェイヴァリットはPete Namlook & Mixmaster Morrisの「Dream Fish」でした。
これを聴くとよく眠れます。





CDを1度に2枚使用してDJプレイ出来る機器自体はその以前にも存在していました。DENON(デノン、旧デンオン)が91年に発表したDN-2000Fです。
↓コレ。

デノンでは当時、北米・欧州向け商品開発の中で業務機器としてモバイルDJ(※)向けCDプレーヤーが誕生し、それに続いて使い勝手の面から2連装の要求が出た事に応えて製品化されたそうです。で、このDN-2000Fは北米随一のシェア率だったとの事。
日本では当時、現在と違ってディスコファンや好事家に対してのみDJという存在がようやく認知されたばかりで、しかもCDでDJプレイなど「邪道」以外の何物でも無いというステレオタイプな概念が一般的であり、クラブ環境よりも業務用音響機器して受容されていました。





で、前置きが長くなりましたが、Perfume新潟降臨の余韻そのままにDJパーティーはスタートしました。以下、記録写真です。
テクノなら格好もテクノにならなければ!という哲学の下、自分が考えるテクノっぽいスタイルを考えた結果、外科手術で使用するスクラブシャツを着用。他にもリアリティを追求し、聴診器、IDカード、ラテックスグローブも用意するという念の入れ様。うーんキてますキてます。



音合わせは聴診器で。



「シークレットシークレット」を熱唱。



小指を立てるのがポイント(←違)。









他にも、「テクノ」と聞いてすぐに「クラフトワーク」を連想したので、赤いシャツと黒いネクタイという、アルバム「Man Machine」のジャケットワークをコピーしました。


だいぶ場の空気が暖まってきました。
リクエストも幾つか飛び出し、みんなノリノリ。




元ネタはコレ↓




モミアゲを刈り取る「テクノカット」にしようかと思いましたが、そこは実行に至るまでの勇気が足りませんでした。




余談ですが、テクノカットの起源は周恩来氏だったとの説も。ホンマかいな。



中国つながりという訳ではありませんが、今回紅衛兵の衣装も着用したんですが、写真に撮るのを忘れてしまいました。
↓こんな感じ。写ってるのは私ではありません。





Perfumeナンバーを多数プレイしたのは言うまでもありませんが、それ以外に当日使用したハウス・エレクトロの楽曲からお気に入りのものを幾つか紹介します。



celvin rotane - i believe 2008 (dabruck and klein remix)


Dave King-i can´t get no sleep (3D Edit)


Eric Prydz - Pjanoo (Club Mix)


U2 - Discothèque




午前1時で終了の予定でしたが、12時を過ぎてから再度お客が増えてきて、お店側のご厚意により2時30分まで延長させて頂きました。


ああー、楽しかった。












ターンテーブルやミキサー等の機材全てを持ち込んで、様々な場所でプレイするスタイルを指す。